失敗事例から学ぶ仕事術

要件定義の曖昧さが招く大規模手戻り:認識齟齬を防ぐコミュニケーションと確認の重要性

Tags: 要件定義, コミュニケーション, 手戻り, プロジェクト管理, 失敗事例

はじめに

システム開発において、プログラミングやテストといった技術的なスキルは非常に重要です。しかし、その前段階である「要件定義」が適切に行われなければ、どんなに優れた実装スキルがあっても、最終的に利用者の期待に応えられないシステムができてしまう可能性があります。特に経験が浅い時期は、仕様書に書かれた抽象的な表現を自身の解釈で進めてしまい、後で大きな手戻りが発生するという事態に直面することもあります。

本稿では、要件定義の曖昧さが引き起こした具体的な失敗事例を基に、その原因を深く掘り下げ、同様の過ちを繰り返さないための具体的な対策と、そこから得られる重要な教訓について考察します。実際の業務における失敗への不安や、理論と実践のギャップを感じている方にとって、実践的な学びとなることを目指します。

具体的な失敗事例の描写

あるプロジェクトで、若手ITエンジニアのAさんは、ECサイトの新機能「商品推薦システム」の開発を担当することになりました。機能の主要な要件は「ユーザーが興味を持つであろう商品をAIが自動で推薦し、サイトのトップページに表示する」というものでした。

Aさんが受け取った仕様書には、「ユーザーの購買履歴や閲覧傾向に基づき、関連性の高い商品を効果的に推薦する」という記述がありました。Aさんは、一般的な推薦システムの知識や過去のプロジェクト経験から、「関連性の高い」とは特定のカテゴリやブランドの商品を指し、「効果的に」とは人気商品を優先的に表示することだと解釈しました。そして、その解釈に基づいてシステム設計と実装を進めました。

開発中にPM(プロジェクトマネージャー)や他のチームメンバーとの進捗報告やコードレビューが行われましたが、推薦ロジックの具体的な動作や表示される商品の傾向については深く議論されることはなく、「大体こんな感じで進めています」というAさんの報告に大きな異論は出ませんでした。

しかし、リリース前の最終段階でユーザー代表者による検証が行われた際、問題が露呈しました。ユーザー代表者からは「なぜ全く関係のない商品ばかり表示されるのか」「もっと新しい商品や、セール対象商品を優先して表示してほしい」「この推薦機能では、結局欲しい商品にたどり着けない」といった指摘が相次いだのです。PMも「私の想定とは異なる」とコメントし、結果としてAさんが実装した推薦ロジックは根本からの改修が必要となり、プロジェクト全体に大規模な手戻りと納期遅延を引き起こしてしまいました。

失敗の原因分析

この失敗は、単にAさんの技術的な問題ではなく、いくつかの複合的な要因によって引き起こされました。

  1. 要件定義の曖昧さと認識齟齬:

    • 「関連性の高い」「効果的に」といった抽象的な表現が、関係者間で具体的にどのように解釈されるべきか共有されていませんでした。PM、開発者、ユーザー代表者それぞれが異なる「最適解」をイメージしていたため、初期段階で認識の齟齬が発生していました。
    • 具体的なユースケース(例:どのような状況で、どのようなユーザーに、どのような商品を推薦するのか)や、推薦ロジックの評価指標(例:クリック率、購入率など)が明確に定義されていませんでした。
  2. コミュニケーションと確認プロセスの不足:

    • Aさんは不明点を自身で解釈して進めてしまい、早い段階でPMやユーザー代表者に具体的なイメージを提示し、確認する機会を設けませんでした。
    • 進捗報告やレビューが形式的なものに留まり、推薦ロジックのようなビジネスロジックの肝となる部分について、具体的な動作の確認や議論が不足していました。口頭での「こんな感じで進めます」という報告だけでは、認識のズレを発見することは困難です。
    • プロジェクトにおける合意形成のプロセスが不十分であり、決定事項や確認内容が文書として明確に記録・共有されていませんでした。
  3. 若手エンジニアの経験不足と心理的要因:

    • Aさんは要件定義の重要性や、曖昧な要件が後工程に与える影響の大きさを十分に理解していませんでした。
    • 不明点を質問することに対して、「自分で解決すべき」「こんな簡単なことを聞いても良いのか」といった躊躇があった可能性も考えられます。これは、経験の浅いエンジニアが抱えがちな心理的障壁です。
    • 担当する業務領域(ECサイトの推薦ロジック)に関するドメイン知識が不足しており、抽象的な要件から具体的なシステム要件へ落とし込む判断が難しかった側面もあります。

対策と教訓

この失敗から学ぶべき教訓は多岐にわたりますが、特に若手エンジニアが実践すべき具体的な対策とスキル向上に焦点を当てます。

  1. 明確なコミュニケーションの実践:

    • 5W1Hでの具体化: 曖昧な表現に遭遇した際は、「誰が (Who)」「何を (What)」「いつ (When)」「どこで (Where)」「なぜ (Why)」「どのように (How)」といった視点で、要件を具体的に掘り下げて質問し、明確化する習慣を身につけてください。例えば、「関連性の高い商品」であれば、「どのような条件で『関連性が高い』と判断するのか」「具体的に表示される商品群は何か」といった質問をします。
    • 用語の定義の統一: ビジネス用語やシステム固有の専門用語など、関係者間で解釈が分かれそうな言葉については、その定義を明確にし、共通認識を形成することが不可欠です。
    • 不明点の早期言語化と質問: 疑問点や曖昧な箇所は、小さなことでも「これで合っていますか」と積極的にPMや関係者に確認し、認識のすり合わせを早期に行うことが重要です。推測で進めることは最もリスクが高い行為の一つです。
    • 図やモックアップの活用: 画面遷移図、ワイヤーフレーム、モックアップ、簡易的なプロトタイプなど、視覚的な資料を用いて具体的なイメージを共有することで、言葉だけでは伝わりにくいニュアンスを補完し、認識齟齬を防ぐことができます。
  2. 要件確認プロセスの強化:

    • ユースケースと例外処理の洗い出し: 具体的な操作シナリオ(ユースケース)と、エラー発生時や想定外の入力に対するシステムの挙動(例外処理)を、PMやユーザー代表者と共に具体的に洗い出すことが重要です。これにより、抽象的な要件から具体的な動作要件への落とし込みが容易になります。
    • アクター(利用者)の視点での検討: 実際にシステムを利用するエンドユーザーの立場に立って要件を検討し、「この機能で本当にユーザーは課題を解決できるのか」という視点を持つことが、顧客価値の高いシステム開発に繋がります。
    • 定期的なレビューとフィードバック: 実装開始後も、進捗に応じてPMやユーザー代表者と具体的な成果物(プロトタイプや開発中の画面)を見ながらレビューを行い、早期に認識齟齬を発見し、修正する機会を設けることが重要です。
    • 議事録や決定事項の記録: 会議で決定した事項や確認内容は、必ず議事録として文書化し、関係者間で共有してください。これにより、後から「言った」「言わない」のトラブルを防ぎ、合意形成の証拠となります。
  3. 自身のスキルアップと心構え:

    • ドメイン知識の習得: 担当する業務領域に関する知識を積極的に学び、要件の背景やビジネス上の目的を理解することで、より深い視点からシステムを設計・実装できるようになります。
    • 質問力を高める: 漠然とした質問ではなく、「〜という理解で合っていますか?」「〜の場合、システムはどのように振る舞うべきですか?」のように、具体的な疑問点を整理して質問するスキルを磨くことは、効率的なコミュニケーションに繋がります。
    • 「多分」や「おそらく」を排除: 曖昧な理解で「多分こうだろう」と進めるのではなく、「これは明確ではない」と判断したら、その都度確認し、明確な合意形成を心がけることが、後の手戻りを防ぐ最も基本的な心構えです。

まとめ

要件定義の曖昧さは、開発工程における手戻りの主要な原因の一つであり、プロジェクト全体に大きな影響を及ぼします。若手エンジニアとして、コードの実装スキルだけでなく、要件を正確に理解し、不明点を明確化するためのコミュニケーション能力と、確認プロセスへの意識を高めることが重要です。

失敗を恐れることなく、曖昧な点を見つけたら積極的に質問し、関係者と認識をすり合わせる習慣を身につけることが、高品質なシステム開発を推進し、自身のエンジニアとしての成長に繋がります。経験を重ねる中で、これらのスキルは強力な武器となるでしょう。